「昔は家を建てたりする馬鹿はいなかった」

筆者が家を建てようと決意した当時の状況は、借家住まいよりもう1段下の「間借り」であったことが述べられている。間借りという言葉は最近あまり聞かなくなったが、間借りは1つの住居の中の6畳とか4畳半とか、部屋だけを料金を払って借りる形態だ。以前は学生の下宿は、ほとんどこの間借りだった。いまでも、東京大学の近くの本郷界隈では、学生を対象とした間借りの下宿がいくつも残っている。「家を建てる話」のなかには建築費の話も出てくる。「その頃というが今から3年ばかりまえの話であるが、或る友達が100万円あれば家が建つと言って、坪1万円の土地を4十坪買い、これに十何坪かの家を50万円で建てて、後の10万円はためしに、この文中でいう3年前、1951(昭和26)年の銀行員の初任給を調べてみると、月3000円。ただし、このころは都市銀行では推定4000~6000円の調整手当があったとしている。それを合わせても、月7000~9000円だ。100万円という金額がいかに高いかがわかる。それだけのカネをかけて一戸建ての家を建てるより、借家住まいのほうがいいというのが、従来からの一般的な風潮だったのだ。それは、随筆のなかの「昔は家を建てたりする馬鹿はいなかった」と、腹立ちをまじえてズバリ言い切る表現となって示している。

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